僕らは何のために生きるのか。

   

ここ数日、人生について考える出来事がありまして。タイトルは大袈裟ですが、別に哲学とか宗教とかそんな話では全然なく、1人のサラリーマンが週末になんとなく考えたことです。でも誰でも人生のどこかで、必ず考える気がするんです。「僕らは何のために生きてるんだろう?」って。

考えたきっかけ

朝、通勤中にスマホを落としたら、画面が割れました。今まで10年弱ぐらいスマホを使ってきた中で、初めての出来事。もろい。あまりにもろい。ケースは付けていたのに、画面側から落ちたもんだから、もうバリバリ。バリバリ過ぎてむしろ清々しかったぐらい。「あぁ、お前そんな潔く割れちゃうタイプなんだ」って感心したぐらい。

操作はできないけれど、電源は付く。ボタンは使えるから強制再起動はできるけども、何も変わらず。手元に端末があるのに、何もできないもどかしさ。美女が隣で無防備に寝ているのに、同僚の嫁だったりするような、そんな感じ。知らんけど。スマホが使えないと、移動中も休憩時間も、やれることが一気に限られる。

情報のインプットがなくなると、暇なときは自分で何かを考えるしかないんですよね。インプットがないと、頭は自然と「考えるべきこと」を探す。そこで思ったわけです。僕は何のために生きるのかなって。中二病とかじゃないですよ。ただ、なんとなくね。

そのときはふと思っただけで、特に深くは考えませんでした。仕事に疲れてたのもあって、自然とそういう方面に気持ちが向かっちゃったんでしょうね。

命尽き果てるまで

僕の実家に犬がいるんですけどね。学生時代から飼ってた犬で。ちなみにメス。今では年2回ぐらいしか会ってないですけど、まぁ可愛くて。でもそろそろ寿命みたいなんです。最近は体調もよくないらしく。だから、会えるうちに会っておこうと思い、急遽会いに行くことにしました。今はその帰り道です。

僕が実家に着くと、彼女は、昔ほどの元気はなくても、いつもの優しい目で出迎えてくれて。人間で言えばもう80歳ぐらいなんで、僕なんかより大先輩なわけです。もしかしたら、自分でも、この先を感じているのかもしれません。いろいろ悟ったかのような、でも無垢な可愛さは残ったままの、そんな目でした。

彼女が産まれて間もない頃から、うちで飼い始めました。最初は、寂しくて夜泣きをすることもありました。慣れてからは、家族の一員として一緒に過ごしました。夏は暑くて仰向けで寝転がり、冬はストーブの前を陣取って動かない。ご飯を食べていれば欲しがるし、トイレはちゃんと決められたところでする。言葉を喋らないだけで、人間と大して変わりません。

そんな彼女が、もう長くなさそうだと聞いて、思ったんです。「こいつは、十分に幸せを感じてくれたのかなぁ」って。

幸せに、生きること

犬は、自分で家を選ぶことはできません。僕らという飼い主のもとに生まれ、一緒に過ごしてきたこの日々を、彼女は幸せだと思ってくれただろうか。もちろん言葉を喋るわけではないので、本当の気持ちはわかりません。でも、そう思ってくれてたらいいな。そして最後の最後まで、幸せを感じて欲しい。本当に、それだけを強く思いました。僕らが彼女からたくさんの幸せをもらったように、彼女も幸せを感じていて欲しいと。

そしてその時、僕の生きる意味をふと考えたんです。きっと僕らも、同じなんだろうなって。僕らだって、この世界を、国を、家族を、環境を、自ら選んで生まれてきたわけじゃない。それでもこうして生まれてきて、その命が尽きるまで、長い人生を生きている。その人生を、僕らは幸せだと思えるのだろうか。僕らの生きる意味なんて、それに尽きるんじゃないかと。

生物学的な観点とかで、人間として生きる上では別の理由もあるでしょう。でも僕らは「幸せを感じること」を追い求めるべきだと思います。他人が何を言おうと関係ない。自己満足ドンと来い。僕らは僕らのやりたいことをやり、幸せを感じるために生きているんです。もちろん人に迷惑をかけないような配慮は要りますが、それは法律で定めてくれている。だから、好きなように生きればいい。

人生の最期に伝えたいこと

誰もが人生に迷うこともあるでしょう。何のために生きているのかわからなくなることもあるでしょう。そんなときは、こう考えてみるといいのかもしれません。自分の最期を見届けてくれる人たちに、自分が生き抜いてきたこの世界に、「幸せだった」と伝えられるような人生にしよう、と。

これを読んでいる暇があるぐらいなら、まだまだあなたの人生は長いでしょう。もし、生きる目的を見失っているのなら、今すぐ、幸せを感じるものを探しに行きましょう。世界は広い。世界は深い。僕らの人生を輝かせるものが、きっとあるはずです。

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